映画『ピーチガール』(松竹、2017年)

本日も例の如く映画を鑑賞してきました。『ピーチガール』を観ました。

f:id:S_Take762:20170522210032j:plain

peachgirl-movie.jp

上田美和の同名漫画の実写化です。そして私は原作未読です。

あらすじをパンフレットから引用…しようと思いましたが、パンフレットが売り切れだったので公式サイトから引用しましょう。

安達ももは高校一年生。中学の頃から同級生のとーじに片思いをしているが、ひょんなことから学年一のモテ王子・カイリに想いを寄せられ、ももに敵意を燃やす小悪魔女子・沙絵の悪巧みにより、事態はどんどんこじれてしまう。カイリととーじの間で揺れ動き、沙絵の罠により絶体絶命に陥ったもも。果たしてこの予測不能な恋の結末は…!?

それではネタバレ込みで感想を書いていきます。

話の大まかな流れを書けば、「ももととーじが付き合う→沙絵の策略で二人が別れる→ももとカイリが付き合う→ももにカイリに対する疑念を抱く(これも沙絵の策略)→もも、カイリのぎくしゃくしていた家族の問題を解決する→とーじ、ももに再告白→結局、ももとカイリが上手くいく」といった感じです。他にも重要な場面はあったような気がしますが、思い出せないのでこのようになりました。

この映画を展開させるキャラクターとして小悪魔女子・沙絵(演:永野芽郁)の存在が重要なのですが、この沙絵が曲者です。小悪魔なんかじゃありません。ただの悪魔です。もも(演:山本美月)ととーじ(演:真剣佑)が別れる原因となることをしたのも彼女ですし、ももにカイリ(演:伊野尾慧〈Hey! Say! JUMP〉)への疑念(カイリの兄の婚約者とカイリの関係について)を抱かせたのも彼女です。それでも、ももは沙絵と関わっていこうとするのですから(劇中での教室の席が前後だからかもしれませんが)、ももはお人よしを通り越してバカなのではないかとも思いました。

そんな沙絵の本性をももととーじの前で暴いたカイリのかっこよさったらありません。胸がスッとしました。

そんなカッコいいカイリも家庭の中では問題を抱えており、その問題がももによって解決されます。お互いが抱えている問題をお互いの力によって解決してくわけですから、ももとカイリがくっつくのは必定なのかもしれません。

しかし、とーじも沙絵の策略のためとはいえ、もものためにももと別れたわけですから、ももとくっつけなかったのは少々可哀想だなあと思います。まあ、何かを選べば何かが捨てられるのはこの世の真理ですから仕方のないことなのでしょう。

私の前の席に座ったおばさん二人は涙を流して観ていました。私は泣きはしませんでしたが楽しむことができました。

笑える古典 R-指定ver.

1週間ぶりのブログ更新です。また古典の話を書きましょう。面白い(と思うもの)を見つけてきました。『日本霊異記』中巻「愛欲を生じて吉祥きちじやう天女てんにょかたちに恋ひ、感応してめづらしきしるしを示しし縁 第十三」(ちなみに出典は中田祝夫校注・訳『新編日本古典文学全集10 日本霊異記』〈小学館、1995年〉)です。

〈本文〉
和泉国いづみのくに泉郡いづみのこほり血渟ちぬの山寺に、吉祥天女𡓳像せふざう有り。聖武天皇御世みよに、信濃国しなののくに優婆塞うばそく、其その山寺にきたり住みき。の天女の像にメカリウちて愛欲を生じ、心にけて恋ひ、六時ごとに願ひて云ひしく、「天女の如き容好カほよき女を我に賜へ」といひき。優婆塞、夢に天女の像にくながふと見て、明くる日マバレバ、の像のノ腰に、不浄けがれたり。行者視て、漸愧ざんきしてまうさく、「我は似たる女を願ひしに、何ぞカタジケナク天女もはらみづかまじはりたまふ」とまうす。媿ぢて他人ひとに語らず。弟子ひそかに聞く。後其の弟子、師にゐや無きが故に、めてらる。はれて里にで、師をソしリテ事をアラハス。里人聞きて、往きて虚実こじつを問ひ、ともの像をまばれば、淫精染みけがれたり。優婆塞事を隠すこと得ずして、つぶさべ語りき。マコトる、深く信ずれば、かんこたへぬといふこときことを。奇異めづらしき事なり。涅槃経ねはんぎやうのたまふが如し。「多婬の人は、ゑがける女にも欲を生ず」とのたまへるは、其れれをふなり。

〈現代日本語訳〉
和泉の国和泉の郡の血渟の山寺に、吉祥天女の土製の像があった。聖武天皇の御代に、信濃の国の優婆塞がその山寺に来て住んだ。優婆塞はこの天女の像を流し目で見、愛欲の心を募らせ、ひたすら恋い慕って、一日六度の勤めごとに、天女のような顔のきれいな女をわたしに与えてください」と祈り願った。この優婆塞、ある夜天女の像と交接した夢を見た。明くる日天女の像をよく見ると、裳の腰のあたりに、不浄の物が染みついて、汚れていた。優婆塞はそれを見て、恥ずかしさに、「わたしは天女さまに似た女が欲しいと願っておりましたのに、どうして畏れ多くも天女御自身がわたしと交接されたのですか」と申しあげた。しかし実際恥ずかしくて、このことはだれにも言わなかった。ところが、弟子がひそかにこのことを聞き知った。後日、その弟子が師となる優婆塞に礼を尽さないので、師は叱って追い出した。弟子は追われて里に出て、師の悪口を言い、吉祥天女との情事をあばき立てた。里人はこのことを聞き、行って真偽のほどを確かめた。なるほどその像を見ると、淫水で汚れていた。優婆塞は事を隠しきれずに、詳しくわけを話した。深く信仰すると、神仏に通じないことはないということがほんとうにわかる。これは不思議なことである。涅槃経に、「多淫の人は絵に描いた女にも愛欲を起す」と述べておられるのは、このことをいうのである。

この話で面白いのは最後の「諒ニ委る、深く信ずれば、感の応へぬといふこと无きことを。是れ奇異しき事なり。涅槃経に云ふが如し。「多婬の人は、画ける女にも欲を生ず」と者へるは、其れ斯れを謂ふなり。」という文章が前後で通じていないことです。

前段では深く信仰すれば神仏に通じる(通じた結果が吉祥天女との交接だったわけですが)と好意的に読めますが、後段では涅槃経に「スケベなやつは絵の女でもエロく感じる」とありますよ、と優婆塞のことをディスっているように読めます。

日本霊異記』の作者の景戒きょうかいはどういう意図でこの文を書いたのでしょうか。作者は優婆塞のことを「エロいながらも神仏を深く信仰したやつ」と考えたからこそ、前後の通じない文章で自身の考えを読者が感じ取れるようにしたのでしょうか。

それにしても、「多婬の人は、画ける女にも欲を生ず」とはなかなかの偏見がありますね。別に絵の女性のことを「いいなあ」と思う人が「多淫」ということはないと思うのですが…。

免許更新

今日は運転免許の更新をしました。初回更新者なので2時間しっかりと講習を受けてきました。

更新後の免許は「準中型免許」というものになっていました。今年(2017年)3月に施行された改正道路交通法でこれまでの普通免許、中型免許、大型免許に加えて、普通免許と中型免許の間に準中型免許が作られました。

準中型免許では車両総重量7.5トン未満(最大積載量4.5トン未満)の自動車が運転でき、新たな普通免許では車両総重量3.5トン未満(最大積載量2トン未満)の自動車が運転できるとのこと。

私は改正前の道路交通法で普通免許を取得したので車両総重量5トン未満(最大積載量3トン未満)の自動車を運転できたわけで、結果として改正道路交通法のもとでは「5トン未満に限る」と条件が付きますが、準中型免許になったわけです。

そういえば免許証の写真ですが、更新前の写真はなんだか偉そうな感じになってしまったのですが、今回の写真は顎をきちんと引いたので、割合上手く撮れたのではないかと思います。

笑える古典

私のような者もツイッターなるものをしているのですが、面白いツイートが流れてきました。

このツイートにある『日本霊異記』の元の話がどういう話なのか気になったので調べてみました。

まず、大学附属図書館でジャパンナレッジで「常栄」という語で調べてみました。しかし、どの文章にもヒットしない。どうしたものかと思い、「碁」という語で調べました。すると何件かヒットする中にこれかなと思うものが見つかりました。

そこに出てくるお坊さんの名前は「栄常」。そりゃ「常栄」じゃあヒットしないはずです。こういうことがあるから、ネットの情報は検討を要するわけです。

それはともかく。話は『日本霊異記』中巻の「法花経を読む僧をあざけりて、現に口喎斜ゆがみて、悪死のむくいを得し縁 第十八」というものです。以下に本文・現代日本語訳を書きます。出典は中田祝夫校注・訳『新編日本古典文学全集10 日本霊異記』(小学館、1995年)です。

〈本文〉
 にし天平年中、山背国やましろのくに相楽郡さがらかのこほりの部内に、ひとり白衣びやくえ有りき。姓名あきらかならず。同じ郡の高麗寺こまでらの僧栄常えいじやう、常に法花経を誦持ずぢしき。の白衣、僧との寺に居て、しまらくあひだしき。僧、碁のをぢをぢに、「栄常師の碁の手ぞ」と言ふことをす。遍毎たびごとに言ふ。白衣僧をあざけり、ことさらおのれが口をモトリテ、まねび言ひて曰はく、「栄常師の碁の手ぞ」といふ。くの如く重ね重ね止まずしてなほまねぶ。ここ奄然たちまちに白衣の口喎斜ユガミヌ。恐りて手をおトガヒを押へ、寺をでて去る。去る程遠くあらずして、身を挙げて地にたふれて、たちまち命終みやうじゆしぬ。見聞きし人の云ひしく、「刑を加へずといへども、心にあざけまねび言へば、口喎斜ゆがみ、忽然たちまちにして死ぬ。いかいはむや、怨讎あたの心をおこし、刑罰を加ふるはや」といひき。法花経にのたまはく、「賢僧と愚僧と、同じ位に居ること得じ。また長髪の比丘びくは、白衣の髪鬢はつびんらずして賢なると、位を同じくし器を同じくして用ゐること得じ。し強ひて位する者は、あかがねアラズミの上に鉄丸をきて吞み、地獄にちむ」とのたまへるは、其れれをふなり。

〈現代日本語訳〉
 過ぎし天平年中、つまり聖武天皇の御代に山城の国相楽の郡内に一人の俗人がいた。姓名はわからない。その同じ郡内の高麗寺の僧栄常は、いつも法華経を声に出して読んでいた。さてその俗人は栄常と高麗寺で少しのひまがあると碁を打った。栄常は一目置くごとに、口癖のように、「これが栄常さまの碁の打ち方であるぞ」と言った。打つたびごとに言った。俗人は栄常をあざけって、わざと自分の口をゆがめてまねをし、「これが栄常さまの碁の打ち方であるぞ」と言い返した。このように何度も何度もまねし続けた。と、たちまち俗人の口がゆがんでしまった。彼は驚いて手であごを押えて、寺から出て行った。寺を出ていくらも行かないうちに、彼は全身ごと地面に倒れ、たちまち死んでしまった。これを見聞きした人は、「僧にこれという刑罰を加えなくても、あざけりの心で僧の口まねをすれば、口がゆがみ、たちまちのうちに死ぬ。まして僧に恨みの心を抱き、刑罰を加えた者はなおさらである」と言った。法華経に、「賢僧と愚僧は同じ位にいることはできない。また長髪の出家でも、仏弟子たる者は、髪やひげを剃らない俗人の賢者と、同席に着いたり、同じ食器を用いることはできない。もし強いて同席に着く者は、死後、熱せられた銅板や炭火の上に立たされ、熱した鉄の玉を飲み、地獄に落ちるだろう」と述べておられるのは、これをいうのである。

これを読めばわかりますが、栄常を煽った俗人は確かに問題はありますが、石を一目置くごとに「これが栄常さまの碁の打ち方であるぞ」という栄常も相当変わっています。しかし、「いつも法華経を声に出して読んでいた」栄常は特に問題なく、栄常をあざけった俗人は口がゆがんで死んでしまったというわけです。

たまに街中で配っている宗教のパンフレットでは「最後の審判のときに、信じる者は救われて神の国にいける」的なことが書かれていますが、法華経では最後の審判どころか現世ですぐに罰せられるのです。即効性が高いですね。

とまあ、こんな感じで時々、古典について書いていこうと思います。

読んでいる漫画

ゴールデンウィーク中に何もなかったので更新しなかったのですが、昨日からいつも通りになったので更新を再開したいと思います。

昨日、ジャンプSQ6月号を買いました。

もともと買うきっかけになった連載はすべて終わっているので購読をやめてもいいのですが、2年くらい前から連載が始まった「千早さんはそのままでいい」が面白いので買い続けています。

千早さんはそのままでいい 1 (ジャンプコミックス)

千早さんはそのままでいい 1 (ジャンプコミックス)

千早さんはそのままでいい 2 (ジャンプコミックス)

千早さんはそのままでいい 2 (ジャンプコミックス)

簡単なあらすじをいえば、食べることが大好きな主人公の女子高生のダイエット奮闘コメディです。主人公の千早さんはいつもダイエットをすると宣言するのですが、結局我慢できず食べてしまうのです。

そして、昨日買ったジャンプスクエア6月号では、その千早さんがなぜダイエットを志すようになったのかという理由が明らかになっています。

その理由がまたかわいい。やはり食べることが大好きでも恋をしているのだなあと思いました。来月も楽しみです。

今日も今日とて

特に何もなかったので困ったものです。

どうせゴールデンウィークなんて私などには関係ないのですから。

Tさんのこと

今日はABNさんとTさんとお酒を飲みました。

言い出しっぺは私ですが、昨日「飲みたい」と言って今日実現するとは思いませんでした。

一緒に飲んだTさんは(本人は否定しますが)かなり酒癖が悪い人です。今日、Tさんを家に送り届ける間にも、同じ話を繰り返したり、マイナス思考になって「どうせ自分はダメなんだ」みたいなことを言ったりします。

送り届ける間にTさんは私への不満も口にしていました。Tさんの酒癖について、私(を含めたゼミのメンバー)が話を盛って言いふらすものだから、Tさんの指導教員を含めた先生方に誤った情報が伝わっていると。

私は盛って話したつもりはないし、今回一緒に飲んでみて、改めて「酒癖悪っ」と思ったほどですが、どうやらお気に召さないらしい。

また、私が酔ったTさんの動画を撮っているのも気に食わないと言っていました。「どうせそれをみんなに見せて笑うんでしょ」とブツブツ言っていましたが、その通りなので、なんとか誤魔化して言いくるめておきました。

特に面倒だなと思うのは、Tさんは「自分は酔ってない」ということです。

いやいや、千鳥足でフラフラですよ、Tさん。

酔っぱらいの「酔ってない」ほど、信用できない物はありません。

楽しかったですが、Tさんがもう少しお酒に強くなってくれればなと思う飲み会でした。